2024年6月1日(土)ハチ北フェス2024開催決定!

『ハチ北ミュージックフェス』最重要人物の2人にインタビューをしました①

ーーはじめまして。ハチ北ミュージックフェスでイベント制作を担当しているムッティーです。


人物紹介:ムッティー

ハチ北ミュージックフェスの制作スタッフ。
京都 西京極のレンタルスタジオ『STUDIO IZ』のオーナーでもあり、キネマズのギタリストでもある。

ーー今回は、ハチ北ミュージックフェスの最重要人物、西谷大我さんと西村智洋さんに、ハチ北フェスについてインタビューしてみました!

フェスを知らん僕らの作る、全てが手作りのフェス

ムッティー

まずはお二人、自己紹介からお願いします。

タイガ
ハチ北ミュージックフェスの主催チーム「ハチ北アクティブクラブ」で会長をやらせていただいています、西谷大我(以下タイガ)と申します。普段は兵庫県ハチ北高原スキー場というスキー場内で「青い鳥」というホテルを経営していて、自分で三代目、27歳です。
トモ
ハチ北ミュージックフェスティバル実行委員長の西村智洋(以下トモ)です。ハチ北スキー場の旅館街にある「sasaya」という旅館の若旦那です。40歳になります。
ムッティー

トモ君は実行委員長なんですね。

トモ
実行委員長。言い出しっぺです。

ムッティー

そもそも、ハチ北でフェスを始めるきっかけは何だったのでしょうか。

トモ
ハチ北自体、フェスができる場所なのになぁ とはずっと思ってて。何万人も受け入れられる施設があるのになんでしないんだろうって東京にいるときからずっと思ってたんです。今思えばそういうことを言う人がこの地域にはいなかったんですよね。

タイガ
いや、違うと思う。ここにずっと住んでる人では、フェスを作るって発想には一生たどり着かんのですよ。トモちゃんはミュージシャンになろうと思って東京に行っとったんで、外から見たら分かる。僕も外に出てたんで、田舎ってこんなにいいのにって思うんですけど、田舎にずっと住んでる人はただ単にずっとそのままじゃないですか。良さもなければ悪さもないみたいな。
トモ
たしかに、一回地元の外に出た人間ってのはちょっと違う視点があるかもね。
タイガ
ただ勘違いしてほしくないのは、ハチ北っていうところがずっと何もしてこんかったわけではないんです。ハチ北観光協会っていうのがちゃんとあって、みんないろんなイベントを考えたりとか、キャンプ場マレットゴルフ場、あとはハチ北温泉作ったりとか、いろいろお客さんを呼ぼうとする努力はしてきてるんです。でもそういう、ぽろっとした「フェスをやってみよう」みたいな発想は一生出てこんのです。言われた瞬間に、「なんだって⁉︎ フェス⁉︎ 聞いたことねえ!」みたいな。それをどこで知り得るかってことなんです。
ムッティー

なるほど。トモ君は、もともとは東京でミュージシャンを目指されていて。

トモ
そうですね。
ムッティー

タイガ君はその間大学生ですか?

タイガ
僕は大学生。京都の伏見に6年間ずっと住んでた。僕も、トモちゃんが帰ってきた一年後とかに地元に帰ってきて。
ムッティー

そこからどうしてアクティブクラブの会長に?

タイガ
僕は帰ってくる気まんまんだったんで、帰ってきたら家のことを色々やろうとは考えていて。ハチ北というよりは、親から継ぐ家「青い鳥」をどう発展させていくかっていうか、どう自分のしたいことをうまいこと商売に繋げていくかっていう。
でもいざ始めてみると、自分のところだけでよくなることはもう無理だなってことに気付いたんですよね。地域全体が死にゆくなかで、どこかの宿だけ斬新なことを初めて一瞬目立ったところで、その宿だけではなんの影響力もないんですよね。
一件だけすごいいい宿があったところで、周りも同じようなクオリティだったりとか、似た感じのことをして、ここの地域に来ればこういう体験ができるっていう意識付けを日本の人たちにしていかないと、青い鳥だけで有名になるのはもう無理だなって思ったんです。ハチ北自体のブランド力をもっとあげへんともうどうにもならんなって。
帰ってきて2年目くらいだったかな。そのときにちょうどハチ北アクティブクラブの役員を改正するって話になって。それまでハチ北アクティブクラブには入ってましたけど、飲み会が年に一回か二回あるくらいで活動らしい活動って特に何もなくて。それで役員改正するってなったときに、当然会長を誰にするかっていう話になるんですけど、誰もやりたくないから、みんながみんなに入れる泥仕合みたいな選挙が始まったんですよ。
僕はそのときまだ一番下っ端の、地元に帰ってきて全然まだぺーぺーだけど、やりたくない人がやるくらいだったら僕がやろうと思って、じゃあ僕が会長しますって言って会長になりました。
で、僕が会長になったからには何かアクティブクラブとして活動せなあかんと思って会議とかを開くようになったんです。
トモちゃんは帰ってきたときからずっと、仲間内ではフェスやったらいいのになって言ってて。煙立つか立たんかくらいの感じでずっと燻ってる感じやったけど、「じゃあやろうや」って。ハチ北アクティブクラブでいっこやりたいことをやる。何がいいかってなったときに、トモちゃんがずっと言っとったフェス、音楽フェスいいじゃんって。そうなったときに、みんな多分思ったんです。「確かになんか、ハチ北ミュージックフェス、すげえいい感じにできそうじゃないか?」って。漠然とした感慨ですけど。よさそうな感じになりそうだなっていう感覚があって。

ムッティー

結構みんなすぐイメージできた感じですか?

トモ
うーん、やっぱり最初は難しかったですけどね。一人一人にフェスとはこういうものですよっていう説明から入って。しかもよくよく考えたら、自分もフェス、そんなに知らないぞみたいなことに気付いて。
なんとなくこんな感じっていうのは分かってても、いざ人に説明するために改めて考えてみると、フェスとはなんぞやみたいな。結構難しいなって。結局、一回目は僕の行ったことあるフェスをイメージして、こんな感じですよって説明して。

トモ
…本当は、一回目もあんなでっかくなるとは思ってなくて。一番最初は、田舎でよくやっているイベントで使ってるくらいの、本当に、ちょっとだけ大きい町の祭、くらいの本当にこじんまりとした、アーティストも三人くらい乗れたらいいかなくらいの規模のステージのイメージで、本当に自分らが楽しいような、ちゃらちゃらした、そのへんにありふれてるような小さなイベントくらいのつもりで動いとったんですけど、こっち出身で大阪でバンド活動してた山本浩司(制作・ブッキング担当。以下こうちゃん)が手伝ってくれるようになって…。
ムッティー

ここでもう山本さんが入ってたんですね。

タイガ
智ちゃんが言ったんやんな?
もともとこうちゃんのこと知っとって、話を持ってってみたらぜひやろうってことになって。それから知らん間にめちゃめちゃブッキングしてきとって…(笑)

全員ーー(笑)


タイガ
おいおいおい! って(笑) いきなりめっちゃブッキングしてきたって。それで、ステージも会場もこんなんじゃだめだってなって。
最初はファミリーゲレンデで、町のイベントの前日に祭りで使うステージをちょろっと借りて「いえーい」とか言ってできればええなくらいに思っとたのが、「13組出るぜ」っつって。13組⁉︎
結局本当に、僕らが思っとった以上の規模になって、てんてこまいもてんてこまい。智ちゃんがやろうって言った手前、一人で抱えすぎてしんどくなったりもして。でもなんとかぎりぎり赤字か赤字じゃないかくらいで終わりました。

トモ
それこそ初年度はもうマジでヤバかったですね。もともと、うづかの森BARっていうのが地元では年に一回開催されていて。廃校を一日バーみたいにしてジャズバンドを呼んで、っていうイベントなんですけど。その延長で考えてたから、第一回はうづかの森BARに来てくれていたアーティストさんが半分くらいは来てくれて。「じゃあこのアンプ持ってくわ」みたいな、結構アーティストさんが助けてくれるような規模で進めてたんだけど、こうちゃんにちょっと助け舟をお願いしたら、話がもうばーっと一気に大きくなってね。サブステージ⁉︎ あっじゃあこの音響じゃだめだ、みたいな。規模が思ってたより一気に大きくなって、その頃が一番大変でした。2年前、2017年ですね。

ムッティー

2017を準備し始めたのは今(6月)くらいの時期ですか?

タイガ
いや、全部一ヶ月くらいでやったっすね。やるとは決まったけど、本腰入れて動き出したのは建設とかも含めて一ヶ月くらい前で。宣伝も一ヶ月半くらいしかしてないし。本当に前日の夜中まで必死でステージ組んで。
なんか、そういう明確なやることがあるとできるんだけど、もともとフェスを知らん僕らは、PRだったりとかフェスに必要な広告のいろはなんかもまったく知らんかったから。何かせなあかんとは思ってるんやけど、何をしたらいいのか分からんまま時間だけが過ぎていって。もうほんまにほぼぶっつけ本番、リハも何もなくて、その時々みんなの判断で行動するっていう。もう責任は僕が持つからって言って。

トモ
多分ね、三ヶ月前くらいに「こういうのんがフェスです!」ってみんなに説明しました。この写真を見てください、こういう旗とかつけます、こんなんがフェスです、みたいな説明をね。
タイガ
借りてきたやんな、旗みたいなやつ。で、つけてみたらめっちゃ運動会みたいになってやめたんやんな(笑)
大変やったけど、僕は、当初の目標は会長なりに達成できたかなって。それはやっぱり、やっとる僕ら自身がおもしろいと思えてるかってことで。
それまでは、やっとる僕らはぎりぎりまでひいひい言って、終わったあとも、トモちゃんは来年はもう絶対にせんって言ってたくらいやけど(笑)
でも当日はやっぱり、めっちゃおもろかった、楽しかったですね。だから今があるんですけどね。

トモ
うん。めちゃくちゃよかったしめちゃくちゃ感動した。でもすげー大変だったんで本当に(笑)
マジで僕、ちょっとハゲたくらい精神的にも追い詰められて、どんどん金額の規模も上がっていくし。予算こんだけしかないのに、みたいなそういうプレッシャーもあったり。でもとりあえず一回目が終わって。
僕はマジで二回目はするつもりぜんっぜんなくて。もうこんなしんどいことは二度とええわと思ってて。でも僕以外がやりたいって言ってくれたから、二回目が進んだもんな。

そんなにたくさんの人が来るわけじゃあない でも来た人全員が満足できるフェスってどうだと

ムッティー

第二回目の開催は、話し合って決めたんですか?

タイガ
みんなで集まって、決を取った。トモちゃんは終始もう嫌だって言ってたけど。マサヒロ君とか僕とかえっつぁんとか、よかったし楽しかったし、今やっと基礎ができたと。なるほどこんな感じなんかっていうのをそのとき初めて知るわけです。ここで初めてフェスのイメージが湧いた。すべてはそうじゃないですか。新しいことを始めるときって。初めてスキーするときも、頭のなかで考えて無理だなって言って滑らん人は、一生滑れんじゃないですか。
トモ
こっちの人間はちょいちょいスキーに例えるけど、それ全然伝わらんで(笑)

タイガ
なんでもそう、車の免許もそう! 渋谷の二十代に「フェス作ったことあるひと〜」ってアンケートとっても、多分一人も手挙がらないですよ。そのくらい訳分からんことをしとるんですよ、フェスを作ることって。
誰にも想像がつかない、流石に万能のグーグル先生でもフェスの作り方は教えてくれない。そのくらい試行錯誤して手探りでやったやつを、まあしんどかったけど、でももう終わっちゃうのかと。なんとか一回やって、今やっとなんとなく分かったのに、終わるのもなんだなって話になって。
でもやっぱり僕らの中では、やりたいって言ったのはトモちゃんだと。で、そのトモちゃんがしんどくてやりたくないって言ってる。でも僕らはやりたいから、じゃあどうするのかって話をして。それで、いろんなところを分担しようってことになって。トモちゃんがしとった仕事を、みんなでいろいろ分担して。それが二回目。
前回の教訓を生かして、早いこと動き出したんですよ。多分この話はフェスが終わって一週間以内にはしとったと思うんです。次はどうする? って話。あまりにも今年は時間がなかった、もっと早よ動かなあかんだろって動いとったのが、今(6月)くらいだったんですよ。それでも僕らは早いと思っとって。それを今年はもう、なあ?(笑) 終わったらすぐみたいな。手伝ってくれる人も増えて、すごいありがたいし。

ムッティー

第一回目で感じたハチ北ミュージックフェスのおもしろいことっていうのは、タイガ君的には何でしたか?

タイガ
手作りかな。一回目の挨拶でも言ったけど、観てくださいと。これ、全部僕らで作りましたと。このステージ立派でしょ。これ手作りですよ、僕らの手作り。あのゲート、手作り。いろんな人の協力でできた。お金で動いた人なんて誰もいない。お金払って作ったフェスじゃない。資材、地元の工務店の人が全部貸してくれました。タダです。ここの土地、電気、全部貸してくれました。っていうのが、僕の一番の自慢です。どうだ、こんな凄いもの、全部手作りだぞっていう。
やったことを表に出さないかっこよさもあるとは思うんですけど、僕はやっぱりあれは言いたかった。いろんな人が血反吐を吐いて、寒いのに夜ライトをつけてまで作業したりとか、トモちゃんがひいひい言っていろんな人に連絡とったりとか、そういう、本業じゃない人たちがここまでできるんだぞっていう誇りみたいなものはありましたね。一回目は。

タイガ
第二回目は、なにより、やっぱ音の魅力が分かったっていうか。生の音、CDとかテレビとかじゃ分からない凄さ、これは多分口じゃ伝えられないですよね。それをくらったっすね。あのステージの正面に行ったときに。
僕自身が要は、フェスを全く知らん人間だったので、僕としては初めはフェスじゃなくてもよかったんですね。ずっと言っとるんですけど、僕はこの地域が活性化して、みんながおもしろいって感じながらお客さんがよろこんでくれて、足を運んでくれるような何かができればよかったんです。
だから僕は、トモちゃんみたいに音楽が好きだから音楽フェスをやったっていうわけではなかったので、そのときに初めて、フェスでよかったなあと思ったんですよ。音楽をがっさー聞いたときに、マジかと。これはたくさん呼んだら誰でも感動するぞって思ったんです。実際、一回目も二回目も終わったタイミングでいろんなひとに声かけてもらったりとか、話を聞いていった中で、行ってよかったって言う人がほぼ全員。10割!

ムッティー

そやったそやった。ほんまにそうやった。

タイガ
そんなにたくさんの人が来るわけじゃあない。でも来た人全員が満足できるフェスってどうだと。それが僕らの自信にも繋がっとるんですよね。来た人がみんなおもんなかったって言ってたら、やってる僕らはでもおもしろかったとか言ったって、それはオナニーみたいなもんじゃないですか。
そうじゃなくて、周りの人も同じことを思ってくれてたってことは、ああやっぱ僕らは間違ったことはしてないんだって。次に繋がる原動力にもなるし。
一回目で来てくれたアーティストさんが、二回目でまた来てくれたことも嬉しかったんです。たくさんお金が払えるわけでもないのに、それってもしかして、僕らがやってることを少しでもおもしろいと思ってもらえたんかなって。
ムッティー

トモ君はどうですか?

トモ
二回目は、一回目とは比べものにならないくらい化学反応みたいなものが起きていたし、個人的にも凄いやりやすくなってた。二回目なんて僕は、本当に波に乗ってたくらいで。いいとこ取りって感じですよ。一人一人がすごい頑張ってくれて。
自分はなんか、一回目終わったときはもう、やるかやらないかなんで。みんながやらないって言ったらやらないんだし、一応僕が言い出しっぺっていうのがあるから、みんながやるって言うんなら、僕は絶対に裏切ったらあかんと思う。そこで僕がもうやめようやってなるのはおかしいでしょ。みんなが走り出したら僕はもう、やるしかねえなみたいな。行くか行かんかみたいな。
ムッティー

トモ君自身は二回目、楽しめましたか?

トモ
楽しかった楽しかった。このミュージシャン見たいなってところはちゃんと最前列で見れたし。それができればね、多分発散できてるんで。自分で作ったフェスを自分が一番楽しんだみたいな。
僕はそもそも、作ってること自体がもう楽しい。バカが集まったなって思う(笑) だって、すごい効率悪いですよね。たった1日のために365日フェスに費やしてる自分を傍目で見てみると、凄いバカだなと思うんですよ。自分も、それに集まって来てくれる人たちも。それってなんなのかなって思うと、やっぱりバカな人たちだからこそ分かち合える仲間感というか。そういうのが僕は楽しい。なんか、アナログな感じが。いい大人が集まって、真剣にその一日だけのフェスのために動いてくれてるっていうのが、いい意味でバカだなって。

次回インタビュー後編

『僕は、ハチ北フェスは、将来的にはどんどんいろんなひとのやりたいことを実現できるフェスにしていきたい』

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